子育てパパの成長日記

10歳の一人息子の子育てをしながら、日々気付いたことを書いていく日記です。脳梗塞を経験して、今は仕事と自宅の往復の中で無趣味の僕が楽しいことを見つけようとしています。

自分のことが周囲から必要とされなくなったら終わり?

仕事上の話だけどね

皆さんは仕事をしている中で、よく声をかけられますか?電話が良くかかってきますか?質問を受けたりしますか?ほとんどの人の答えはYESだと思います。
 
仕事をしている以上、何かしらの担当を与えられていて、その担当すること関しては自分が判断したり、答えたりしていますよね。もし、話しかけられなかったり、質問されなかったり、仕事を頼まれなかったりした場合、その人は会社にとって居てもいなくても良い存在ということになります。
 

家で仕事のことを話すと妻の返しで気付くことがある

僕はたまに「仕事が特に大変だっよ」、「残業が続いてこんな事があったよ」ということを話す時がある。妻は工場で働く僕の仕事内容にはあんまり興味がなさそうだ。むしろ、病院で働く姉の話の方が興味があるようだ。でも、妻は僕の話は聞くだけ聞いて、一言「そう言って大変だと言って話す時のあなたはいつも顔が生き生きしている。大変って言いながらも、今の仕事が好きなんだね。」
 
はっきり言って今の仕事は好きではない。でも、大変なことをやって終わった時の達成感を喜んでいる自分に気付いた。問題を解決したり、考えが形になって思い通りの結果になった時の達成感はとても気持ちがいい。そんな時は夕飯の時に缶ビールを飲む。
 
僕の好きな仕事ではないが、仕事をするということが好きなようだ。というか、何かをして達成する、人に感謝される、人に必要とされるということに仕事のやりがいを見出しているんだと思う。それが今の僕には手段として今の仕事なのだろう。生きている実感がする。
 

人の功績はいなくなってから改めて分かるもの

ノーベル賞を貰った人や、イチローやキングカズのような現役ですでに伝説的になっている人は別だけど、普通の人ならばその人が退職した時や亡くなった時にみんながその人の在職時や一生を振り返って話をする。たくさんの話が出る人は在職時や生前にいろんな功績や周りから愛されていた人なんだろう。昨年、同居していた妻の兄が亡くなった。ただのサラリーマンの行う葬儀にまさかの400人が参列してくれた。一人の一般人にこれだけの人数が来てくれたことに感動して兄は人から愛されていたし、必要とされていたのだろう。妻とも話したが、兄が亡くなって初めて兄の凄さを知った。
 

友達間でも同じことが言える。呼ばれなくなったら・・・

職場の飲み会には誘われる。若い頃からの地元の友達からの誘いは全くなくなった僕。僕が地元から離れたこともあるけれど、誘いを仕事のせいにしてことごとく断ってきてしまった結果だろうね。40歳になって自分には友達全然いないじゃん!って気づいたし、息子に「パパは友達何人いる?」って聞かれた時に答えに困った。実際に年賀状を出す相手も数枚程度でその全ての人に数年間会っていない。

 

出不精も大概にしないと友達失うかもね?