子育てパパの成長日記

10歳の一人息子の子育てをしながら、日々気付いたことを書いていく日記です。脳梗塞を経験して、今は仕事と自宅の往復の中で無趣味の僕が楽しいことを見つけようとしています。

転職経験7回の僕の体験話その12

僕と妻が引越しをして、新しい仕事も徐々に覚えて行き、数ヶ月が経った。

新婚生活は楽しい。2人きりで自由にできることを楽しんだ。
 
しかし、妻がある僕が帰宅をしてからも浮かない顔をしていた。どうしたのか訪ねたら、妻は真剣な顔をして「整理が来ないから、検査してみたら出来てたの。それで、産婦人科に行ってみたら妊娠しているって」僕は固まった。
 
よくテレビとかで、子供が出来たら夫婦で喜ぶシーンがあるが、僕らはそれとは違う反応をしていた。仕事も住むところも変わってすぐに子供ができるって、状況が出来過ぎじゃないか?2人の生活はこれからで、落ち着いた頃に「赤ちゃんが出来ました」っていうタイミングがあると思うけれど、それにしてもすぐの出来事だったので2人は喜ぶ前にどうしていいか分からなく、変なリアクションになってしまった。
 
もちろん子供を授かることは幸せなことだ。嬉しさも当然にあったが2人の頭を先によぎったのは、親たちになんて言おうかということだった。引越しでかなりの金額も親から借金している。「子供を作るのはある程度の目処が立ってからじゃないのか?」と怒られるんじゃないかと心配をしていた。
 
その出来事のあった週末に僕たちは妻の両親に先に伝えるために実家に行った。
 
「そう、良かったじゃない。授かったものは大切にしなさい。」お母さんの反応は意外なものだった。お父さんは話を聞いたのみで特に反応はなかった。義兄夫婦の義理兄は喜んでくれた。義姉(義兄の妻)は微妙な表情を浮かべていた。義兄夫婦には子供がいない。それは義兄の病気の関係で夫婦間で子供を作らないと話し合って決めた事で、そんな義兄夫婦にとって僕たちに子供ができたということは辛い事なのかと思った。
 
僕の両親にも報告も終わり、ひとまず落ち着いた。
僕の両親は喜んでくれた。特におばあちゃんが喜んでくれた。おばあちゃんにとったらひ孫なので特に嬉しいようだった。その喜び方を見たら僕も嬉しくなった。
 
さらに1ヶ月が過ぎた頃になると、妻につわりが出だしてくるようになり、新居の壁紙の匂いがダメになって気持ち悪いというようになってきた。仕方なく妻だけ実家暮らしをさせることにした。僕は数ヶ月間、平日は新居から通い、週末は妻の実家に行くという暮らしをするようになった。
 
順調にお腹の子供も育って行って、いよいよ出産の時が近づいた。この頃には僕も妻の実家から会社に通うようにした。特に詳しく書くような事もなく全て順調な出産だった。
 
転職の話なのにこの子供のことを書いたのは、この時期に僕は仕事でかなり精神的に追い詰められていたのだが、子供が生まれるということを糧に頑張ることが出来たからだ。
この頃、会社では定年で退職予定の人の代わりに僕が採用されたので、毎日引継ぎと新しい仕事を覚えるので精一杯だった。
 
教えてくれるのは定年間近の大ベテラン。昔気質の職人と言った感じの人で教え方が抽象的。「あれをこっち、これをこうするんだ」というように「あれ、これ」という表現が多く、僕にはチンプンカンプン。何回も聞き返すが、終いには「そんなことも分からないのか!」と怒られる始末。段々と聞くに聞けなくなって行きドツボにハマって行くようになっていた。
 
それに加えて、上司がとてもチンプンカンプンな人で、仕事は各担当に任せっきりで、全く全体感を把握していなく部下に全くの無関心な人。しかし会議で更に上役からの指摘や質問に答える立場のくせに部下に説明をさせて、マズくなると責める方の立場から物を言って、部下を守るどころか切り捨てるという、部下からはとても信頼されていない上司だった。なぜこの人は異動しないんだろうと聞いたことがあったが、行くところがなくそのままこのポジションで10年経ってしまったそうだ。この部署のガンなようだ。
 
OJTの先輩からダメだしをされ、上司からも覚えが悪い人だとレッテルを貼られ、僕はうつ病に近い状態だった。でも、家族のためにこの仕事を辞めるわけにはいかず、僕は必死に食らいついた。
 
今だから言えると、周りの人が言ってくれたのが、「あの時の〜さんは見ていてかわいそうなくらい追い込まれていたよね。」という言葉だった。やっぱり周りから見ても、僕への扱いは酷かったのね。先輩と上司の2人から言われ過ぎた時に僕はフラフラになって意識を失って会社で倒れたことがあった。救急車で運ばれ、会社は騒然となった。
 
それから2人の僕への接し方が急に変わった。部長やもっと上の人から注意があったのだろうか。詳しくは分からないが僕の平穏な会社生活はここからやっと始まった。
 
妻や子供が出来ることがなかったら仕事を辞めていたかもしれない。
守るものがあると頑張れるのね。
 
 
おばあちゃんの話はまだこの後になります。