子育てパパの成長日記

10歳の一人息子の子育てをしながら、日々気付いたことを書いていく日記です。脳梗塞を経験して、今は仕事と自宅の往復の中で無趣味の僕が楽しいことを見つけようとしています。

転職経験7回の僕の体験話その7

この転職の話も長くなってきて、もう「その7」まで来ちゃったか。

 

こんな出来事があった程度でささーっと書いて、「転職とは」みたいに書きたかったんだけど、思い出して書いていると、この20年近くの出来事って結構あったんだなぁと思い、ついつい長く書いてしまった。1話を書くのに喫茶店で40分くらい。ipad miniで思い出しながら書いていて、この時間では早いのか遅いのか、長いのか短いのか、内容が薄いのかはあんまり考えて書いてはいない。そうしちゃうと、本当に思ったことが書けなくなっちゃいそうで嫌なのです。

 

話は戻って、4社目の医療器メーカーで営業として働いて1年半が過ぎた頃だった。

 

毎日、帰宅時間が夜の10時〜12時。展示会や土曜日の検査の立会いや商談もあったりで、土曜日も月に1回くらいは潰れる。15年くらい前なので、今のように就業管理にうるさくなく営業という職種なので、土曜出勤や深夜残業についてはあやふやな感じだった。

 

体の疲れがどんどん溜まっていくのを確実に感じてきた。営業の間に車の中で数十分の睡眠を取ることをするようになり、休みの日には寝たきりが多くなってきた。

 

そして、僕の体に変化が出るようになってきた。

朝、電車に乗ると気分が悪くなるようになってきた。数日おきに気分が悪くなる。それで遅刻してやっとの思いで会社に来たり、会社を休むようになってきた。

明らかな体調変化に怖くなった僕は思い切って会社を休んで病院へ行った。目眩がするので耳鼻科に行った。いろいろと検査をされたが、悪いところはなかった。そこで耳鼻科の先生は一枚の紙を僕に渡して記入するように言った。白色な質問が書いてあった。それに「はい、いいえ」で答える。

書き終わった髪を先生に出すと先生は採点を始め、言われたことは「精神科に回しますのでそこで診察を受けてください。


何?精神科?


精神科の診察室の前で僕は色々と考えた。そうしているうちに診察室へ呼ばれて、生い立ちから、家族構成から、今の仕事の状態を全て聞かれた。時間にして1時間くらいかかった。


そして先生が出した診断名が「鬱状態」。


???うつ病ってこと?


どうやらそうらしい。自分が頑張ろうとしても体が先に悲鳴をあげて拒絶反応を起こしているらしい。確かに僕は毎日忙しすぎて、会社に行くのが億劫になっていて気が乗っていなかった。仕事量が多すぎると感じていたからだ。

そして仕事量の多さの他に、僕にものすごく重荷になっていたのは、病院のある特定の人から要求される家電品を病院で使用する消耗品に伝票を書き換えて処理をするという、これって犯罪じゃないの?っていう取引だった。金額にして月に数百万円、この分の家電を買って病院の経費として請求する。その家電はその人の車に積み込んで持って行ってもらう。

僕はこの行為がどうしても嫌で嫌で仕方がなかった。これは前の担当者がやっていたことで、これも引き継ぐことになったが、自分の売り上げの数字にはなるが業務上横領じゃないか?とビクビクしていた。



診察の結果、医者からの指示は「2カ月間の休養」だった。診断書も出た。僕はすぐに会社に連絡をして休職する旨を伝えた。

仕事を休んで1週間位したところでやっと体の疲れも取れ出して、動けるようになってきた。そして僕は考えるようになった。これで会社の復職しても、また同じ事を繰り返すんじゃないかと。毎日13

〜14時間も働くのはもう続けていけないんじゃないだろうか?


うつ病の期間中は会社の人との接触もしないで、会社のことを考えない期間にしてくれと医者にも言われていたので、会社の上司も母親に病状を聞いたりしてくれていた。2ヶ月くらい経つ頃に会社から、部署を代わって復職しないかと提案があった。その部署はメンテナンス部門。機器の修理等をする部署で東京になる。会社側は仕事量の負担の軽減と精神的プレッシャーを減らすことを考えてくれた。しかし、通勤が僕の住んでいるところからかなり遠く、電車を1時間半も乗らなければならない。

 

 僕はこの会社にいてももうダメだと思い、辞めることを決めた。


続く。