子育てパパの成長日記

10歳の一人息子の子育てをしながら、日々気付いたことを書いていく日記です。脳梗塞を経験して、今は仕事と自宅の往復の中で無趣味の僕が楽しいことを見つけようとしています。

転職経験7回の僕の体験話その13(家庭編)

息子が生まれるまでの数ヶ月間、僕は新居と妻の実家の二重生活をしていたが、僕に息子が生まれて結局は妻の実家にお世話になることになった。
 
仕事も家庭も順調だった。
 
僕の実家の親父はというと、相変わらずメチャメチャなようだ。昔から韓国人の女性と付き合っていたり、フィリピン人の女性と付き合っていて、僕も何度か会ったことがあった。
 
僕が離れている間に、フィリピン人の女性と結婚したようだ。おばあちゃんは大反対だった。しかし親父は人の言うことを聞く人ではなかった。この世代の人は人の言うことを聞かない人が多い世代なのだろうか?よくそういうおじさんを不動産屋時代に見てきた。
 
はじめのうちはその新しい奥さん(と言っても僕より全然年下だぞ!)はおばあちゃんのことを優しくしてくれていたのだが、おばあちゃんは口うるさい人なので次第に2人の仲は遠くなって行った。それにおばあちゃんは親父が結婚をして近所とはいえ、2人で暮らし始めてしまったのだから面白くはないだろう。間もなく90歳になるおばあちゃんを残して、よくそんな事が出来たもんだと呆れてしまった。
 
親父は頭の中が未だにバブル思想でいる。
いつも商売で一発当ててやろうと考えている。僕の家族も散々振り回されて、転職回数と同じくらい引越しをさせられた。資金が回らなくなり家を売ったことが2回、ついに賃貸住まいとなり、離婚もして僕らも賃貸の引越しを2回している。この間に火事に2回あってもう2回仮住まいをしている。お陰で僕は引越しの準備は2日あれば出来るようになってしまった。何の自慢にもならないが。
 
 
不動産屋時代に結構な金額を手元に持った時も商売に走って失敗している。トレンドを掴むセンスがない。服装もどうでもいいようなものしか来ていない。どう見てもお金持ちになれる風貌ではない。僕ももう諦めているし、関わっていたら僕の人生もメチャクチャにされそうだったので離れることにしたのだ。
 
 
親父は目先のことしか考えられないので、やっぱり僕がいない間に引越しをした。不動産の事務所とおばあちゃんの住んでいるところも全部一緒に。僕の今住んでいるところに近いところに来たが、おばあちゃんの住まいは6畳ほどのワンルームで隣が事務所という物件だった。日が全く当たらない。もうおばあちゃんが可哀想で仕方がなかった。僕にお金があれば違うところに引越しさせてあげたかった。
 
僕は極力おばあちゃんのところに息子を連れて顔を見せるようにした。親父の仕事には一切タッチしないようにして。おばあちゃんに会うついでに親父にも少し会うが、親父は仕事上で意見が合わなくて別れたのに、そんな事をすっかり忘れて僕が戻ってきてくれればというような話をよくする。たまにアホかと思う。自分が今までどれだけ好き勝手にやってきて家族を犠牲にしてきたかを全く考えて反省をしていないのだ。僕が心配しているのはおばあちゃんであって、親父ではない。
 
そんな状態で数ヶ月経った頃に、今度はまた親父が引越しをした。今度はおばあちゃんを残して。徒歩数分のところとはいえ、もうおばあちゃんは90歳。信じられない。
 
嫌な予感というのが常に僕の中にあった。
 
そしてついにその予感が当たる日が来た。
 
親父から電話があって、おばあちゃんが段差で転んで腰を打って救急車で運ばれたというのだ。
僕は仕事を早退して病院に駆けつけた。
相当苦しそうなおばあちゃんがそこにいた。
 
おばあちゃんは記憶もおかしくなっていて、今日の日付が分からない。
今日は3月4日だと言っていたそうだ。その時はまだ2月の下旬だった。
 
僕は親父に対してこの人はこの状態でも反省をしないのかと思った。
 
そうしているうちに1週間が過ぎた頃、今度はまた親父からの電話が。
 
危篤。
 
何で?
 
急いで病院に行ったら、意識朦朧のおばあちゃんがいた。看護師さんに聞いたら食事中に誤嚥を起こして肺炎になったらしい。
 
この歳で誤嚥性肺炎は・・・。
 
意識がなくなっていくおばあちゃんを僕と妻はただ手を握ってあげることしかできなかった。
 
更にその2日後、また電話が鳴りもうダメだという内容だった。僕は仕事も早退し、すぐに病院へ向かった。
 
何とか心拍だけが動いているおばあちゃん。僕と妻が駆けつけ必死に呼びかけるとかろうじて目を開けてくれる。しかし、その1時間後に息を引き取った。僕はおばあちゃんの最後を見送ることができた。それだけで良かった。親父は抜けられない契約があったので抜けることができずに間に合わなかった。
 
仕方が無いにしても親父は最後までおばあちゃんに迷惑をかけっぱなしでいた。最後くらいはこの場にいて欲しかった。悔しい思いをぐっと堪えて僕は帰った。
 
おばあちゃんが亡くなったのは3月4日。おばあちゃんが意識が朦朧としていた時に言った日付だった。おばあちゃんは自分が亡くなる日のことを言っていたのだろうか。偶然だろうか。
 
その後の親父の話は続く。