子育てパパの成長日記

10歳の一人息子の子育てをしながら、日々気付いたことを書いていく日記です。脳梗塞を経験して、今は仕事と自宅の往復の中で無趣味の僕が楽しいことを見つけようとしています。

転職経験7回の僕の体験話その11

このタイトルの話のその10では不動産屋と居酒屋の掛け持ちの話で終わった。

この状態で1年働いた。その間に僕は彼女と結婚をした。彼女の方の親には不動産屋と居酒屋をやってますと言っていた。

しかし、居酒屋の開店資金、美容室の開店資金でお金を使い果たして、さらに弟が仕事を辞めて僕の会社に来ることになった。弟は不動産の経験もなく、すぐには稼げるスキルはなかったので事務所の店番をメインに頼んでいた。親父と僕が給料を取るのがやっとだったのに弟が来たことで、会社にはお金がほとんどなかった。

しかし、結婚式の日取りは数か月前から決めてあるので、とてもチープな結婚式となってしまった。親族のみで横浜の結婚式専門でやっているホテルで式をあげた。

当時の友達はみんな不思議がっていたし、友達が呼ばれないことに対して僕たちは必死で釈明をした覚えがある。

波乱な結婚式だった。車で結婚式に来て帰りに運転があるからということで、式では僕はお酒の一切飲まず、次の日からすぐに仕事をしていた。悲しかったなぁ。新婚旅行も行っていない。でも、妻は一切文句を言わなかった。

結婚してしばらく経って、僕の親から「こんな時期に結婚するのはタイミングが悪かったね」と言われた。この言葉は今でも妻にはとても嫌な言葉として心に残ってしまっている。

僕の計画では居酒屋や美容室なんてやってるはずじゃなかったんだもの。
不動産一本でやって行って、本当だったらアパート1棟買っているはずで、さらに僕がメインで不動産営業をやっているはずだったのに・・・。

僕の計画は親父に全てぶち壊された。そんな気持ちでいるので、当然親子の関係は悪くなって行った。
居酒屋で売り上げを親父に渡しても、色々な支払いに消えて行ってほとんど残らない。僕の給料もほとんど出ない時期が数ヶ月続いた。

後から聞いたのだが、妻は僕が給料出なくても、一生懸命働いている姿を見て、文句を言わずに実家に帰ってお米や野菜をもらって来てくれていたらしい。そんな話を後から聞いて、僕は涙が出た。

そして、ついに親父と決別することを決めた。もう一度転職活動をしよう。

不動産と居酒屋の合間を縫って、ハローワークに行ったり、転職サイトを見て履歴書を送ったりしていた。

転職活動3ヶ月目にしてやっと手応えのある会社があった。その会社の面接官には今の現状や僕の気持ちを全て正直に話した。そして「どんな仕事でもします」といって正直にお願いをした。

そんな僕の姿が好感されたのかどうか分からないけれども、面接をした翌日に採用の連絡をもらった。
妻と泣いて喜んだ。採用された会社は、一部上場企業(当時はその子会社)だった。僕は定年まで頑張るし、もう転職は懲り懲りと思ったし、妻は何より安定することを喜んでいた。しかも、会社の近くに賃貸マンションを借りることができるので、僕たちは引越しもすることにした。

引越しをすることで地元から離れたい気持ちもあった。地元には嫌な思い出しかなく、何の未練もなかった。そして何より2人の新婚生活をやり直せる嬉しさがあった。当時、一緒に住んでいた母親にも声をかけたが、母親は弟と一緒にいることを選んだ。別にそれは気にならなかった。

1ヶ月後入社のタイミングが近づいてきてから、会社から紹介された不動産担当者に物件を案内されて、物件を決めた。

親父や弟に報告をして僕は会社を抜けることにした。一応代表取締役だったから弟に全てを譲って、僕はさっっぱりと引越しをした。唯一、残されたおばあちゃんのことが心配だった。

僕ら夫婦は新しい仕事と新居で新しいスタートを切ることができた。


しかし、心配していたおばあちゃんのことが悪い意味で予感が当たってしまった。

続く。