転職経験7回の僕の体験話その10
オヤジから居酒屋をやれと言われてから2週間。僕は何とかオヤジに「僕は料理なんて出来ないよ。料理をできる人を呼ばないとだめだよ。居酒屋のコンセプトも決まってないんでしょ?」
オヤジは厨房や店作りはコンサルタントもやっていたので、さっさと段取りを進めるのが上手いが、店を作ってお終い。それ以上のことは考えてなかったようだ。怖い、怖い。こんなオヤジについていって良いのだろうか?
やっとどん料理を出してやっていくかを考え出した。先にオープン日を決めていたから、オープンまであと2週間。トンでもないことになってきた。
オヤジが考えたのは知り合いの韓国人に料理ができる人を捜してもらうことだった。
今から10年前は韓国ブームの真っ只中、ヨン様や韓流スターが人気がある頃だったので、韓国料理メインの居酒屋というコンセプトでいくことにした。
僕はそのオヤジの知り合いのおばさんと一緒に新大久保へ向かい、訳の分からない韓国人の人達と会った。僕以外はみんな韓国語で会話をしている。異国に来てしまった感じだった。何とかオープン日までに韓国料理のできるおばさんに一人きてもらうことがでたようだ。来るのはオープンの3日前、日本語が話せないらしい。
メニューも作れない。どういう風に切り盛りをしていけばいいか全く分からない。
前途多難だ。計画がそもそも無謀すぎるんだよ!
結局お店を仕切るのは僕になってしまった。だってオヤジはお店作りに既に数百万円つぎ込んでいたから引くことができなくなっていたのだ。
僕はもうやると腹をくくった。
韓国からおばさんが来た。見た目はその辺のおばさんと同じ。イメージと違ったのは中川家がマネしているうるさい韓国人のイメージだったので、普通に話をするおばさんがとても扱いやすかった。
もちろん韓国語なんて分からないから、会話は英語。僕も英語は中学生レベルだったから、分からない単語は携帯で翻訳をしながら、何とか会話をしていた。
韓国人はトイレのドアの鍵をかけないのか?それともそのおばさんの癖なのか、トイレを開けるとおばさんが入っていることも何度かあり、下半身を何度も目撃してしまう羽目になった。若い女の子なら大歓迎なのになぁ。
急ピッチて開店準備をして何とかオープンにこぎつけた。オープンのチラシや張り紙などしていなく、ひっそりとオープンして初日を迎えた。
オヤジはお店作りが終わったことで満足してしまっている。これからの方が大変で、大切なのに…。
店に立って手伝えよコノヤロー!言い出しっぺはオヤジだろ!
既に僕はクタクタだった。
僕は昼間は不動産屋、夕方から材料の買い出し、夜は店番とフル稼働だった。
続く。