子育てパパの成長日記

10歳の一人息子の子育てをしながら、日々気付いたことを書いていく日記です。脳梗塞を経験して、今は仕事と自宅の往復の中で無趣味の僕が楽しいことを見つけようとしています。

転職経験7回の僕の体験話その2

仕事をしながら転職活動を初めてやって、転職をしたのは大手ハウスメーカーの子会社で物件管理の会社だった。初めて勤めた会社でやっていた仕事と同じ業種で、宅建の免許も持っていたことで以外にあっさり決まった。全国に展開している会社なので、転勤もある。しかし初めということで僕は東京の営業所に配属が決まった。

内定後に雇用条件を提示された。大手で転勤ありで、マイカー営業だから少し高めの給料だった事を納得して、すんなりとOKした。
そして通うには厳しい距離だったので、会社の寮に入ることになった。

こうして僕は、1回目の転職をした。前の会社の社長には優しくしてもらい、たった1年弱で転職してしまい、同業の大手に行く僕に理解をしてくれて送別会まで開いてくれた。もちろん将来へ向けてのステップアップのつもりで僕は気持ちを割り切っていたつもりだったが、みんなの温かさにジーンとしてしまったのを覚えている。不動産会社特有のノルマ重視ではなく、地元と深く付き合って行くという社長の方針で会社の雰囲気は暖かかった。給料は低かったが良い会社だったのかもしれない。


月末に退職をした僕は、すぐに次の月に引越しをして会社の寮に入って新しい生活をスタートさせた。
初めて親元から離れて一人暮らし。一人暮らし自体はどうっていう事ないが、新しい仕事はボリュームがたくさんあった。前の会社の2倍はあっただろう。毎日、夜の報道番組が始まっているような時間に帰り、朝は8時には会社で仕事をしている。プライベートはほとんどなかった。土日には車で実家に帰り、彼女とも会えたが、その頻度は徐々に減って行った。

仕事の内容は賃貸管理物件の管理。家賃滞納者への督促やオーナーへの定期的な訪問や、賃貸契約申し込みの審査等。他にも募集をかけてくれる地元の不動産会社との打ち合わせや挨拶回りをしたりする。僕の担当で管理する物件数は数十件、部屋数にして400部屋。親会社から新規にできるマンションやアパートがドンドンできるので管理物件はどんどん増えて行った。

僕が着任した時には、その担当区域の家賃回収率や空室率は東京にもかかわらず、全国ワースト3だった。とんでもないところに送り込まれてしまったなと、先が思いやられた。


僕が取り掛かったのは、まず家賃の未回収を0にすること。しかし、一番手を焼いたのは家賃滞納者との交渉だった。居留守を使ったりして会おうとしない確信犯や、全く何を言っているか分からない人まで様々だった。常識では考えられないような感覚の人もたくさん住んでいるので、対応に追われることはものすごいストレスになった。

家賃滞納者を喫茶店に呼び出して2時間話し合い、怒鳴りあったこともあったがこれが人生で初めて赤の他人と怒鳴りあいだった。僕の経験にはないことだったのでかなり精神的に疲れた。時には弁護士同席で強制退去の話し合いをしたり、なかなか捕まらない入居者を夜まで物件の前で張り込んだりとにかく苦労した。約半年かかったが20件以上の滞納者を0にした。

僕の担当区域の空室率もワースト3だったので地元の不動産業者にお願いしを回って募集してもらうように頼み込んだ。10%以上あった空室率を3%まで下げ、利益を出せる状態にまでなった。

マイナスからのスタートだったが、やっと普通の状態まで持って行くことができた。その頃にはもう、半分精神的に疲れ切っていて、人と会うことも億劫になっているような状態だった。こりゃマズイ。

そんな一区切りが付く頃にまたも僕に試練がやって来た。

続く。