子育てパパの成長日記

10歳の一人息子の子育てをしながら、日々気付いたことを書いていく日記です。脳梗塞を経験して、今は仕事と自宅の往復の中で無趣味の僕が楽しいことを見つけようとしています。

転職経験7回の僕の体験話

僕は転職経験がとても多い。今の会社で7社目だ。
それでも今、安泰した地位で働けているのは感謝しかない。
そこで、自分の就職体験を書いてみようと気まぐれに思って書いてみた。


むかしむかし、自分の若い頃に就職活動をした頃の簡単なお話。

自分は若い頃に仕事に対して希望と自信を持っていた。これからどんなことをやってやろうか?なんて根拠のない自信を満々に就職活動をしていた。いわゆる「世間知らず」だった。

大学時代に就職活動をしたが、僕が就職活動をしていた時期は90年代のバブル崩壊から抜け出せなく、まだ「失われた10年?」の真っ只中で、就職の氷河期だった。

それでも、何とか地元ではそこそこ中堅の不動産会社に就職できた。学生の頃に宅建試験受けて免許を持っていたからそんなに苦労せずに就職は決まった。この頃の自分は自信満々。普通に仕事が出来てやっていけると思っていた。しかし、この年に想定外の人生の大チョンボをやらかしてしまった。

選択必修科目を4年生の時に登録していなくて、卒業発表まで気が付かなかったのだ。卒論まで出したのに…。結局、親に事情を話してもう1年通わせて貰い就職活動をやり直した。学校の方は選択必修科目だけ受ければ良いから週に1日だけ通って、あとはアルバイトと就職活動をしていた。

ここから僕の社会人苦労の人生が始まった。

10社、20社にエントリーをしても、書類選考すら通らない。段々と焦りが出てくる。自分が書類を見ただけで否定されているようで、とても挫折感を味わった。でも諦めている場合ではないので、30社、40社と応募しまくった。結局50社程まで応募をした。その中で面接に行けたのが7社だったかな?

面接をしても、良い感触がない。正直に話しているのだが、いつも聞かれるのが「なぜ留年をしたのか」だった。僕は正直に4年生の時の科目登録の時期に自宅が家事になって、自宅が大変な時期と科目登録の期限の日が重なって科目登録を数十分という短い時間で決めてしまった、その時に選択必修科目の登録が1つ漏れていたと説明をした。

同情はしてくれたが、面接官には良い印象にはならない。でもそれが真実だったから話さないわけにはいかなかった。

当然、大手企業は軒並み落選だった。そこで、考えを変えて地元の会社に方向を変えた。周りの友達はみんな知っている企業に就職をして社会人生活をスタートさせていて自分の中に劣等感が生まれてきた。僕は三流大学の出身だったけれど、はじめに書いた通りに仕事は出来ると思い込んでいる「意識高い系」の勘違い野郎だったんだ。

世間知らずの「自分は人と違うんだ」みたいな変な自信はそこで捨てて、まっさらのペーペーの気持ちになれた。今考えると、それが自分に必要な試練だったのかもしれない。

でも、まだまだ神様は「お前には意識の切替が必要だ」と言わんばかりに試練をくれた。

50社ほど応募を繰り返して行くうちにいつの間にか1年近くになり、もう年も明けてしまって大学の卒業間近の2月になっていた。ようやく決まったのは横浜の地元では長くやっている不動産会社だった。とても温厚な社長さんで僕に対してとても理解を示してくれた。

ホットしたというのが本音だったが、正直言えば一生は勤めないだろうなとも思っていた。ナゼならばその会社は社員は10人以上いるが家族経営で社長がいなくなってしまえばどうなるか分からないワンマンだったし、何より、何年経っても給料はそんなに変わらないと先輩社員からすでに聞いていた。みんな先輩たちは3年程度で他へ移ってしまうようだ。

そもそも不動産営業する人は、いつかは経験を積んで大手に移るか独立をする人が多い。僕もそれは感じていた。1年もしないうちに僕も他の会社を探すようになり、そして転職先を決めた。

僕の短い初の就職1社目が1年で終わった。

続く。